火渡りって!「本当ですねー!気になりますね!」と私も急に気になりはじめました。やっぱり外からの目線っていろいろ気づかされます!「火渡り」の看板が景色になっていたなんて(笑)早速、金剛寺さんに電話をかけてお話しを聞かせていただくことに!
実は我が家の近所ということで、道に迷うことはまずないだろうと思いましたが、Googleマップでチェックしてみると、え?!というような場所に、、、。ここは確か昔迷って入って行き止まりだった道では?!と不安になりナビを便りに向かっていると、ナビが「駐車の準備をしてください」と、、、。でもそこにはお寺の姿は全く見えず、、、不安になりはじめたところで金剛寺さんの看板を発見!これはいける!と進むと1台ぎりぎりの道幅ながらずうっと奥に続く1本道。
しばらく走っていると四国のお遍路さんの道を思い出させる雰囲気。そんなことを思いながら徐々に上り坂になったところで左手に階段が見え、その先をぐるりと走り境内に到着。
金剛寺の歴史や火渡りの歴史などは文献なども残っておらず、地域の先輩方からのお話しでは、「小早川家が来る前のこの辺りの豪族らしい」という説や、「平清盛が神戸と宮島の行き来をする中で、海難に見舞われた際、自身のもっていたお守りを海中へ投げて難を逃れ、そのお守りが後日、幸崎の漁師の網にかかったので、どこかへ祀ろうということになったのだが、祀る場所、祀る場所で牛がこけたり、漁船が転覆するなどの障りが続き、最終的にこの場所へ祀られ、落ち着いた」という云い伝えがあるのだそう。
これについては、守り本尊の不動明王が見通しのいい場所ではなく、山に囲まれ何もみえないこの場所をのぞんだのではないかというお話しもあるそうです。
詳しいことは分からない中で、450年前の位牌が残っていたり、金剛寺の以前の住職と三原市和田にある真観寺の住職とで旧暦3月21日弘法大師の命日に、四国の札所をまわって砂を集めて回り、旧田野浦村全域にその砂を置いていき、大師堂を建てたことが始まりで、その大師堂を”田野浦八十八ヶ所”として巡礼するのが、田野浦町の習俗として伝わってきたという歴史などが残っています。
また、現住職である池田戒玄さんは、30年程前に赴任されたそうで、以前は京都の醍醐寺におられたそうです。その時の住職の条件が、”火渡りができる人”というものだったそうで、つまりは前住職の時代も火渡りは行われており、古くからつづく火渡りを残していく為に池田さんが呼ばれたということになります。
ここで火渡りについて質問してみました!
Q:火渡りにはどんな意味があるのですか?
A:”厄除け”や”祈願”など、それぞれ1年の健康や無事を祈られる方が多いです。
Q:どんな人が参加しているのですか?
A:子どもからご年配の方まで、赤ちゃんを私が抱っこして渡るということもありました。
Q:火渡りは女性も体験できるのですか?
A:性別も年齢も関係ありません。
Q:毎年この火渡りには、どのくらいの人がくるのですか?
A:多い時で400人という時代もありましたが、今は多くても200人程度です。
Q:主な参加者様はどちらから来られるのですか?
A:大阪辺りからくる方もおられるますし、近所の方もおられます。
Q:当日の様子を撮影することは可能ですか?
A:信仰で来られている方を大切に思っておりますので、厳しくは申し上げませんが、火渡りの妨げにならない程度でお願い致します。
Q:駐車場はありますか?
A:基本的には車での来場は可能ですが、道が細く離合できない距離も長いので、乗り合わせてこられることをおすすめします。
Q:問合せ先はどちらになりますか?
A:火渡りの開催日時等についての簡単な対応であれば TEL 0848-63-8360 で対応致します。
Q:金剛寺では、この火渡り以外に何か行事がありますか?
A:先にお話しした、平清盛の本尊の命日(漁師の網にかかった日)旧暦1月16日にあわせて、旧暦毎月16日に、護摩を焚いております。一般の方も中に入れます。※旧暦の16日です
最後に、お話しの中で住職のおっしゃられた「公開するためのお寺ではなく、井戸も1人が暮らせるだけの水の量しかありませんでした。本来ここは隠れ住むお寺です」という言葉が、とても印象的でした。独特の雰囲気、佇まいは本来の信仰やお参りの意味を思い出させてくれる、そんなお寺です。本堂から外へ出ると日が沈んでおり、周囲が闇に包まれた静寂の世界も大変印象的でした。
真言宗御室派 金剛寺
広島県三原市田野浦町1692TEL 0848-63-8360
今年の火渡り祭は終わってしまいましたが、次回その様子もご紹介したいと思います!
つづく、、、
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